ちょっと本日は特別版で・・・
本日・・・2010年1月17日
15年前の1月17日午前5時46分・・・
忘れられない日・・・
忘れちゃいけない日・・・について今の気持ち・・・
そして15年前の事を思い出して書きたいと思います・・・
阪神大震災から今日の午前5時46分で15年が・・・
ちょうど私が受験を控えていた中学3年の時に・・・
阪神大震災が起こりました・・・
地震がこれほどのものなんて・・・考えた事もなかった私・・・
今、思い出しても信じられない光景が目の前につきつけられました・・・
神戸市からは少し離れているのですが・・・
その被害は私の実家あたりでもひどく・・・
我が家も全壊指定に認定されました・・・
その日もいつもと同じようにベッドで寝てました・・・
本当に突然の出来事で・・・一瞬にして・・・
すごい地鳴りとともに・・・すごい揺れ・・・
何が起こってるのかすら理解も出来ず・・・
ただただベッドにしがみついてました・・・
怖いというよりも・・・何が起こっているのかわからず・・・
動くことが出来ませんでした・・・
これが私だけに起きていることなのか・・・
みんなに起きていることなのか・・・
初めての事に動けずにいました・・・
そして少し揺れがおさまるとご近所からの叫び声なども聞こえてきました・・・
これは大変だと思って・・・
ベッドから降りようとしたら・・・
下の階で寝ていた母が・・・
『 動いたらあかんよぉ! 』
その時はなんでと思ってただじっとしてました・・・
部屋はまだ真っ暗でまさか重いタンスが倒れ・・・ガラスが割れて・・・
想像もつかないことが身近に起こってるなんて・・・
思いもよらなかったから・・・
そして母がしばらくして二階に上がってきて・・・
母に靴をわたされて・・・手をひかれ外へ・・・
ご近所の方が頭から血を流していたり・・・
薄暗く寒い中・・・ねまき姿の大人の声・・・
『 地震・・・ 』という言葉を聞いて・・・
今、自分の身に起こっていることがなんなのか・・・
初めて悟りました・・・
夜が明けて家の中に入ると・・・
本当に恐ろしい光景で・・・一瞬にしてこんな事に・・・
父はガスの免許を持っていたのでご近所でガス漏れしていないか・・・
駆り出されたり・・・
ただただありえない光景にうなだれました・・・
そんな時・・・
我が家の家族だったヨークシャのゆめちゃんとつーちゃんがいない・・・
つーちゃんはまだ赤ちゃんだったので・・・
自分のハウスの中でガタガタ震えてました・・・
でもいくら探してもゆめちゃんがいない・・・
もともと九州出身で何度か地震を経験した母が一番に玄関のドアを開けた時に・・・
パニックで逃げだしたようで・・・いくら探しても見つかりませんでした・・・
近所も探しました・・・でも見つからず・・・
半日がたったころ・・・近所の母のお友達のおうちのおばちゃんが・・・
『 ゆめちゃんがうちの家の前に座ってたから預かってるよ 』
と知らせに来てくれました・・・
そこは毎日のお散歩コースで母がいつもお散歩の時に立ち寄っていたお家・・・
ゆめちゃんが無事だとわかって本当にほっとしました・・・
その後も・・・
我が家はのちに全壊指定を受けるほどだったので・・・
生活できるはずもなく・・・
ゆめちゃんがたどり着いた母のお友達のお家に数週間居候させてもらいました・・・
水もガスも電気もなかなか復旧せず・・・
今考えても・・・命があっただけでも本当にありがたく・・・
中にはお友達の家族が震災によって亡くなってたり・・・
大けがをしてしまったり・・・
火事でお家がなくなった友達もいました・・・
もちろんお家が壊れてしまった友達も・・・
神戸市に比べて被害は小さかったかもしれませんが・・・
同じように被害を受けました・・・
そして今年で15年・・・
あの震災の時に元気に産声をあげた子たちが・・・
私が震災にあったときと同じ年齢に・・・
そして15年たった今年・・・私は新たな命を・・・
あの時・・・
私は少し違う場所にいたから今こぉして生きている・・・
そして新しい大切な命を授かることができました・・・
無念にも尊い命をなくされた方達のためにも・・・
ご冥福をお祈りするとともに・・・
今あるこの命・・・そして新たに授かったこの命を・・・
大切に・・・していきたいと思います・・・
長い文章・・・また拙い文章を最後まで読んで下さった方・・・
いらっしゃったらありがとうございます・・・
私の想いを残しておきたくて・・・書きました・・・
不快に思われたり・・・
思い出して辛くなった方もいたかもしれません・・・
でも決して忘れてはいけないこと・・・
忘れる事が出来ないこと・・・
震災を経験した一人として・・・